九州大学 整形外科学教室
九州大学大学院医学研究院臨床医学部門
外科学講座整形外科学分野

留学だより
サンディエゴ留学だより

平成19年卒の横山信彦(+4kg)と申します。2017年8月末よりサンディエゴに留学しておりますので、僭越ながら「留学だより」を寄稿させて頂きます。なお、臨場感を出すために敢えて文章の大半を「だ・である調」にしておりますので、合わせて御了承ください。

 

留学前夜

2016年12月のとある日、病棟業務中にスマートフォンが振動した。電話の相手は准教授の松本嘉寛先生。何か問題があったかな、阪神タイガース藤川球児のストレート並に頭をフル回転させながら、冷静を装い電話に出た。「あ~横やん、松本です。」いつもの優しい声、怒られるわけではないらしい。瞬時に頭が平常運転へ復帰したところに一言。「留学の話があるけど、どう?」

変な声が出たかもしれない。想像をあまりに超えた話に、頭は元レッドソックス、ウェイクフィールドのナックルの如く無回転になってしまった。メジャーデビュー、ではなく留学である。ポスティングですか海外FAですか、そんなことはどうでもいい。大相撲の昇進伝達式よろしく「謹んでお受け致します。」と即座に口上を述べたい心持ちだったが、妻の了承も取らねばなるまい、一日時間を頂くことにした。と言っても、観光名所盛り沢山のパンフレットで徐々に心を揺さぶる時間はない。これは難題だ。熟考に熟考を重ねた私は、その日の夕食で重い口を開いた。「そう言えば、今度の夏からアメリカに留学することに決まったから。」「は?」こうして、私の留学生活が始まった。

 

アメリカ生活

2017年8月21日、単身にてサンディエゴ到着。サンディエゴはカリフォルニア州南に位置する人口全米8位の都市で、気温は温暖、天気はほぼ年中快晴、人柄は暖かく治安も良い、過ごしやすい街である。また、カリフォルニア州はアメリカで最も人種が多いため、スーパーやレストランには多国籍の品物が揃っており、店内を眺めているだけでも楽しくなる。

到着日から早速住居探しを開始、翌日からラボに出勤し引継ぎを開始した。日中は生活のセットアップを優先させて頂き、24日にアパートへ入居。プール2つ・トレーニングルーム・バーベキュースペース・子供用の遊具スペース完備(写真1,2)である。

 

写真1. アパートのプール

 

写真2. 同敷地内

 

しかし、家の中には備え付けの電化製品以外何もないため、サンディエゴ留学中の戸次先生に車を出してもらい布団を購入。まずは掛布団だけを購入して敷布団を兼ねる予定が、手違いにより床の上に薄いシーツを敷いて寒々と寝たのは良い思い出である(写真3)。

 

写真3. 床にシーツだけを敷いて寝た入居初日

 

思い出と言えば、ヒルクレストのゲイバーを挙げたい。サンディエゴは比較的同性愛に寛容な土地で、空港のトイレにも特殊な表示が存在する(写真4)。

 


写真4. 画期的なトイレ表示 誰でも使えます

 

その中でもヒルクレストは、その筋の人々によるパレードが毎年行われる、知る人ぞ知る同性愛のメッカである。我々は潜入捜査よろしく、特に同性愛要素の無い男4人でゲイバーを訪れた。店内では西武のカブレラとヤクルトのペタジーニを思わせる巨漢カップルが見つめ合いながらハグ、キスを繰り広げており、さながらオールスターゲームの様相を呈していた(Data not shown)。恐れおののきながら速やかに捜査を終了したが、なぜか帰国前にもう一度訪れたいと思っている。もう一つ、自動車について。前任者から引き継いだ車は2003年TOYOTA RAV4、松本嘉寛先生が購入された車が、実に約12年の時を経て私の手元に来たのである(写真5)。

 

写真5. 「よしひろ号」と私

 

この「よしひろ号」に乗っている時は、松本先生が守ってくれていた(気がした)。しかし、走行距離17万マイルの大ベテラン、別れは突然であった。とある週末、高速道路上で突如ブレーキがほとんど効かなくなったのである。我々は九死に一生を得たが、走る棺桶と化した「よしひろ号」は天に召されることとなり、我々は深い悲しみに包まれた。しかし、新しい車の快適さでその悲しみが瞬く間に消え去ったのは言うまでもない。他にもエピソードは枚挙に暇が無いが、スペースの都合上泣く泣く省略させて頂く。

 

ラボと研究について

Sanford Burnham Prebys Medical Discovery InstituteはTorrey Pinesという有名なゴルフコースの向かいにあり、サンディエゴの広大な土地が見渡せる立地にある。名前が長い理由は、Burnham氏から1000万ドル、Sanford氏から2000万ドル、Prebys氏から1億ドル(!)の寄付を受けたことによる。円ではなくドルである。所属するYamaguchiラボでは、東北大学産婦人科の御出身で1985年から当研究所に所属しておられる山口祐先生を筆頭に、ラボマネージャーの入江史敏先生、弘前大学泌尿器科から留学中の2名の先生、アメリカでPh.D.を取得して研究を続けている先生、当研究所の大学院生コースでPh.D.取得を目指している大学院生と私の計7名、オール日本人で研究を行っている。私は松本先生が立ち上げたヘパラン硫酸合成に必要な糖転移酵素をコードする遺伝子(EXT-1)の四肢限局性ノックアウトマウスモデルの流れを汲み、前任者が報告した遺伝性多発性外骨腫(MHE)の薬物療法(Toshihiro Inubushi, et al. 2017 JBMR)に関する作用機序解析を中心に研究を行っている(写真6)。Yamaguchiラボの特徴として、平日は「毎日全員で」実験結果や研究方針について話し合うのだが、ラボ創設以来の方針で、誰でも発言できるよう堅苦しくない雰囲気で行われる(写真7)。

 

写真6. マウス骨格標本を処理中

 

写真7. 毎日のミーティング風景

 

先生の素晴らしい点は、仮説と一致しないデータが出た時にある。その際、先生はじっくりとデータを吟味し、プロトコールを詳細に尋ね、その手法と再現性に問題がなければ、「これが真実で仮説が間違っているのだろう。想定していない結果が出るときがサイエンスの一番面白い瞬間だ。」と笑顔で仰る。ボスの仮説に合わないデータは無視されるという話も耳にする中で、先生のこの姿勢は間違いなく尊敬に値するものである。また、データがない日は先生が雑談をされるのだが、研究の話に留まらず、時には日露戦争、大航海時代、電気自動車、コンクリート、世界地図に関するバリエーションに富んだ内容を、科学的な視点からお話される。話の展開も我々を強く引き付けるものであり、プレゼン能力の高さが伺われる。このような充実した環境で、科学者としての在り方を含め日々学ばせて頂いている。

 

サンディエゴ野球事情

タイトルの通り私は整形外科野球部に所属している。大学院で最初の教授面談の際に、当時の教授であった岩本幸英現名誉教授から「研究はもちろんだが、あなたは野球を頑張りなさい。」という本気か冗談か判断の難しいお言葉を頂いたのは良い思い出である。図らずも野球に関する言いつけだけは現在も守れている自負があり、サンディエゴでも地元の草野球チームに所属している(写真8)。

 

写真8. ドリフターズのメンバー、右上が私

 

アメリカではソフトボールと硬式野球が主体であるため、サンディエゴの軟式野球チームは現在我らが「ドリフターズ」だけである。他業種のオジサン達から地元の高校生まで混ざった草野球チームで毎週日曜朝、2時間程度の練習を行っている。帰国後は整形野球で「メジャー帰り」として凱旋する予定である。

 

最後に

これまでの留学期間に感じたことは多々ありますが、来年度以降に書かせて頂きたいと思います。

末筆ではございますが、現地で色々と御助力頂いた熊丸浩仁先生・戸次大史先生、駄文の掲載をなんとかお認め頂いた遠藤誠副医局長、8月までという中途半端な期間にも関わらず、ローテーターとして私を快く受け入れて頂いた古賀病院21の先生方、留学の道を拓いて頂いた松本嘉寛先生、留学を許可して頂いた中島康晴教授にこの場を借りまして心より御礼申し上げます。家族一同(写真9)で残りの留学期間をより充実したものとし、少しでも教室に恩返しできますよう精進して参りますので、今後とも御指導御鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

 

写真9. 研究所にて、2018年7月21日 妻撮影